問題はコピペ文化だ。コピペはダメ、止めろ、といくら言ってもなくならないだろう。だが、もし、物理的にコピペができなくなっていれば、他人のものを無断で「拝借」する行為はかなり減るのではないか。
私事で恐縮だが、私のホームページに全国の大学のアカウントでよくアクセスがあった。最初のうちはベンチャー関連記事や企業紹介記事を学生が読みに来ているのだろうと考えていたが、そのうち、ある疑念が持ち上がった。もしかしてコピペ? そこである評論をタイトルだけ残して本文を削除してみた。するとどうだろう。しばらくして大学のアカウントによるアクセスはほぼなくなった。
削除した評論は「転換期を生きた宮本武蔵」で10回シリーズ。当時、かなりの資料に当たり、既存イメージとは異なる武蔵の生き方を書いたつもりだったので、それを簡単にコピペされたのではたまらないと考えたからだ。
ネット社会の負の側面も
ネット社会は便利である。何が便利かと言って検索ほど便利なものはない。いまや辞書はほぼ不要。なにか調べたい時は即ネット検索。回り道、寄り道することなく、答えがストレートに出てくる。それで分かった気になる。そこで得たものは一過性の「知識」であるのに、それ以上、大脳を使おうとはしない。いや、使う必要性そのものを感じてないのだろう。
底が浅いと言われようと、自分の頭で考えろと言われようと、そこに便利なものがあるのに使わない手はない。なにもわざわざ遠回りをする必要がないではないか、と言われて真っ正面から反論できる人がどの程度いるだろうか。
水が低きに流れ、人は易きに流れるのは自然の摂理である。かくしてどんどんコピペは行われる。すると今度はそれを見つけようとする人間が現れる。見つける方の人間もネットの検索機能に頼っているわけで、ともにネット社会にどっぷり漬かっているわけだが、そのことの問題性は感じてないようだ。
さて、オリジナルとコピーの線引きがどんどん難しくなってくる(今後、間違いなくそういう方向に進むだろうが)と、両者の区分けをするための訴訟が増えることが予想される。
例えば佐野氏デザインのオリンピックエンブレム問題。ベルギーの劇場ロゴと似ているとして劇場側が著作権侵害で提訴する動きを見せている。恐らく今後この種の裁判は増えるに違いない。となると、デザイナー側は今後、法的問題に備えた対応まで迫られることになる。特に有名になればなるほど。
ロゴマークは作りがシンプルだけにどこかしら似ていると言われれば、意図的でなくてもそうなることはある。それでも訴訟にまで持ち込まれれば、結果、勝訴しても膨大な時間をその対応に奪われることになるし、提訴された段階で一定のイメージダウンも免れない。まさにデザイナー受難時代である。
今回、佐野氏の問題で明らかになったものが2つある。1つはグローバル化である。デザインの類似性チェックも国内だけではなくグローバルにチェックすることが求められてきたといえる。
もう1点は世界中が不寛容の時代に入ってきたということである。日本的な感覚というか私などの感覚では、佐野氏デザインのオリンピックエンブレムの採用を取り止めたにもかかわらず、ベルギーの劇場側は提訴を続ける構えを見せているのは意外だった。相手がロゴ採用を取り下げているのに、さらに法廷で争う必要があるのか。せめて和解する方向でいいのではないかと思ってしまうが、それが国際ルールなのだろうか。
またまた私事で恐縮だが、20年余り前、私の書いた文章が某全国大手新聞の記事に無断で使われたことがあった。要するに盗作、著作権の侵害である。正月3日の紙面の2/3ページのうち、約1/3近くを私の文章からコピーしたのだから、あまりにも目に余る行為だった。
私の元記事は市の県外向け広報誌に数ページに渡って書いたものだったが、某紙の記事を読んでいて、まさか自分の文章が無断で使われているなどとは夢にも思ってないから、この記者は流通のことをよく知っているな、などと呑気に感心していた。
そのうち、どこかで読んだような気がするというか、自分も同じような文章を書いたことがあるなと、ぼんやり考えていた。まだその段階でも自分の文章からの盗作とは気づかなかったのだが、読んだ後、念のため自分が書いた文章と照らし合わせて初めて盗作と気づいたのだから少々間が抜けている。
それにしても約1/3も他人の文章を拝借するとは著作権侵害も甚だしい。大体、九州は東京に比べて著作権に対する意識が低すぎる。ましてや20年余り前である。しかも相手は新聞社。最初は相手にもされなかった。しかし、著作権侵害は法に反していると伝えたことと、新聞社側も一応記事を照らし合わせてみた結果、いくらなんでもこれは無視できないと考えたのだろう、無断転用箇所を赤線引きにした記事コピーを持参して取締役が頭を下げた。
で、結果は。それで終わりである。もちろん、先方はこういう場合の一般的解決法を提示してきたが、金銭を目的で言っているわけではないから、そういうものは一切拒否。こちらの目的は当初から著作権侵害に対する社内の意識改革だから、以後こういうことがないように指導していただければ、それで十分。ただ、そういう事実があったということだけはきちんと認めてもらいたいからと、念書だけはいただいた。その代わり今後一切不問、口外もしないと約束して。
相手が非を認めれば矛を収め、裁判にまで持ち込む必要はないだろう、というのが私の率直な感想だ。金銭的な被害を被っていたのならまだしも、エンブレムに問題ありと認めオリンピックの公式エンブレムへの採用を取り止めたのだから。
もちろん、この先本当にベルギーの劇場側が提訴するのかどうか現段階では不明だが、世界が不寛容の時代になっているのは間違いない。もうすこし寛容さを取り戻せば隣国ともうまく付き合えるし、世界もいまより平和になれると思うが、それはあまりにも楽観的過ぎるだろうか。
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